病院と違う時間のたたせ方をしたくて夜の街へ出る.酒とともにある自分と向き合って,日向ぼっこをしているのに似てぽかぽかと体の芯から暖まるような店のひとつに山口市湯田温泉の亀石(0839-25-8373)がある.いい店の多くがそうであるようにどこか空気がひっそりしていて,瀬戸内海と日本海の幸がきちんとした仕事をされて供される.運がよければ車海老のミソの塩辛(大将秘蔵で本当は書いてはいけない)などという傑作に出会えて,潮溜まりに陽光が差し込んできらきら輝くのを想わせて酒が一層旨くなる.

徳山市には,愛らしい女将が一品に創意を凝らして客をもてなす茶話(0834-31-9308)がある.どうやって手に入れるのかわからない銘酒が並んでいて,大振りの備前で辛口を飲っていると湖を飲み干しているような気になり,ある程度以上の量の水はそれに臨む人間を穏やかな状態へ誘うから杯を握ったまま時間は滔々と流れてゆく.

たち吉(0834-32-2733)は夫婦で切り盛りしていて,カウンターは7人も座れば一杯で賑わいが常である.薦める品に狙いを定めて,主人が刺身を引くのを横目でちらりと見ながらビールをぐいと流し込むと,そこから優しい夜が始まる.

いずれも店に1本電話を入れ,懐に1枚正札を入れる.それでゆたりとたゆたう時間が保証される.(SCOPE 30巻7号より許可を得て転載)


人口に膾炙することなく今宵も静謐な酒品を磨くカウンターを都心に三箇所挙げる.

青山通りを逸れると蹲るようにおかだ(03-3401-7688)がある.主人の感性が敷き詰められた仄かな灯かりのカウンターに季節の素材が余り手を加えられずに姿を現す.深く削り込んだ味とでも云うべき逸品と蕎麦猪口に注がれた酒とを交互に口に運んでいれば他の客が声を顰めて酒を酌み交わす気配も伝わって来る.人間に囲まれていながら孤独を意識して都会の夜が一層親しく感じられる.

代々木の正一(03-3401-5911)では主人の手で素材の精髄を抽出した幾皿かが一連のものとしてカウンターに供される.造りに先立つ椀の辺りから意識が流動を始めてそれからは料理の流れと酒が刻々と時間を紡いでゆく.流れ出した意識は海に達して荒波が岩に砕け散る音が聞こえ始める頃には都会の夜が足許まで満ちている.

六本木の喧噪の外れに佳いバーがある.(03-5411-1569)の扉一枚で通りと隔てられたカウンターを覆っているのは透徹した審美眼で,酒の調合に匠の技を発揮する主人の意図を正確に反映した結果がグラスに注がれる.そこには日常と非日常という対極にある時間が絶妙のバランスで融合していて,口に含めば意識が飛翔を始めて都会の夜にバッカスの化身が跳梁跋扈する.(SCOPE 36巻2号より許可を得て転載)


91年と97年にSCOPEに書いた文章である.現任地の東京に来る前には山口県の徳山市にゐた.その頃は獨り身で気軽だったし病院と住まひとの地理的な中間に盛り場があったものだから病院を出てその足で暖簾をくぐる生活が続いた.当初は色々な店をのぞいたものだが次第に出掛ける店が特定の何件かに集約されることになってさうした何件かでは所謂常連といふ身分になった.当時は今と違って当直が余りなくて,休日を除いて殆ど毎夜外で飲んでゐたから店の方でもいい客と思ってくれてゐたやうだった.

確かによく飲んだ.カウンタアの隅に自身の影を刻みつける程に一つの店に通ってゐれば,自身の中にもその店で過ごした時間が刻みつけた何かが残る.亀石も茶話もたち吉も何かを自分に加へてくれた.しかし例へば茶話は既に姿を消してゐてあのカウンタアは空間から時間の中に移ってゐた.そして茶話で嘗て飲んでゐた時間を忘れないでゐる自分がここにゐる.

さういふ店を東京でも幾つか見付けてそこに行けば初めての場所で店の人間にも店に流れる時間にも馴染めなくて何処か落ち着かない氣分で酒を飲むことを強ひられる気遣ひはない.自分にとって居心地のよい場所が他人に同じ様な印象を与へるとは限らないことは知ってゐるのでもいい店といふのは何処かに静謐さが漂ってゐてそれは大抵は店に入った瞬間にわかる.酒とともにある時間を慈しむ氣持ちを持ってゐれば旨い酒が飲める店のことを少しずつ書いてみたい.