麻薬

麻薬である.これぞ麻酔科医御用達の逸品,正真正銘の商売道具,伝家の宝刀である.麻薬を主体に麻酔を行うこともあるし,他の薬剤の補助として用いることもある.またペインクリニックにおける鎮痛にも不可欠な薬剤である.

この麻薬は病院の中でも大変管理が厳しい.医者や看護婦が医療以外の何かの目的(!!!)で持ち出そうとしても,二重三重のチェック機構が作用するので,先ず無理である.麻薬専用の処方箋というものもあり,医者が処方するにもハンコが必要だ.この処方箋の書き方がまた難しくて,書き方が間違っているというありがたいご指摘の電話が薬局からよくかかってくる(しかも決まって手術中なのだ).こんなに大切にされている筈なのに,何故か容器は通常の薬と同じガラスである.当然落とすと割れる.すると始末書なるものを書かねばならない.とても屈辱的な気分になるのだよこれが.だから麻薬など使わずに済ませようという気持ちになるんである.

ところが残念なことに麻薬というのはよく効くのだ.鎮痛作用は他の薬剤に比較するとべらぼうに強くて,多幸感もあるから特に大きな手術の麻酔では好んで用いられる.更に,これを打たれると外科医が切り刻んで何度か縫いなおしたところの痛みが和らぐので,術後の鎮痛にも大きな役割を担っているのである.従って麻薬の需要はその手続きの煩雑さにもかかわらず一定の水準を維持し続け,薬局からは今日も手術中に電話がかかってハンコを押し直すのに妙に力が入って処方箋が破けたりする.

麻薬を処方するには医師免許だけでは駄目で,麻薬施用者免許というものが要る.都道府県知事に申請すれば,医者自身が麻薬中毒でもない限り交付される.筆者の免許には青島知事の名が書いてある.初めて見たときは笑ってしまったが,今となると懐かしい感じがするから不思議だ.こんな免許,病院以外では全く役に立たないが,麻酔科医である以上ないと困る.

ここ最近昏睡強盗なるものが流行っている.物騒な世の中だが,まだ麻薬が使われたという事件はない.確かにLSDやマリファナは類縁だが,いくつかの事件で使われた睡眠薬や鎮静薬は医療機関が出所と思しきものが多い中で,病院で使う麻薬だけは事件に登場していない.これは管理が厳しいからに他ならない.まあ一般市民がアンプル入りのモルヒネを手に入れても使い方に困るだろうが.

病院でこのアンプルを持っていれば麻酔科医だが街角で持っていれば犯罪者だ.昔から毒と薬は紙一重であるが,麻酔科医と昏睡強盗は紙一重では困る.確かに.